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Interview 加藤洋之(ピアニスト)

 世界最高峰のオーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを、45年間もの長きにわたり務めたライナー・キュッヒル。歴代の名立たる指揮者たちと渡り合い、演奏の全てを知り尽くした名匠が、絶大な信頼を寄せるピアニストが、加藤洋之(かとう ひろし)さんです。
 本場ウィーンでも高い評価を得て、今年共演25周年を迎える加藤さんに、お話を伺いました。


――キュッヒル氏との出会いと、初共演の思い出を教えてください。
 1999年ドイツ在住時代、キュッヒルのピアニストが急遽来日できなくなり、代理のピアニストとして依頼が来ました。ブダペスト留学時代からウィーン・フィルを聴き続けていたので、そのオーケストラのコンマスは「雲の上の人」同然です。その存在感の大きさに恐れおののいて、最初は断ってしまいました。でも、そのあと一晩考えこんで、やっぱり弾いてみたい、一瞬でもキュッヒルと時間を共有してみたい、という思いが強くなり、思い切って引き受けることにしました。
 初共演の時のプログラムは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番など。極限の緊張状態でしたが、同時に演奏中に味わう恍惚感もあり、至福の時間でした。


過去の演奏の再現にとどまらず 新しく生まれてくるクラシック音楽

――その時から25年間、共演を重ねてこられたんですね。絶大な信頼を得ている加藤さんだからこそ感じる、キュッヒル氏の音楽の魅力はどんなところでしょうか。
 キュッヒルは、とにかく譜面を読みます。様々な角度から、色々なエディションの譜面を比べて、譜面を突き詰めた上で音を出す。そこまで勉強した上で、ステージ上でひらめいたことが一番正しいこととして、演奏します。お客様の雰囲気、ホールの響きを感じて、その時その場でしかありえないことを自由に弾くのです。
 キュッヒル自身は、バーンスタインが『世界で一番初見(初めて見た楽譜をすぐに演奏すること)が利く演奏家』と評したほどで、どんな曲でもすぐに弾けます。それでも、とにかく譜面を読み込み、新しい発見があると嬉しそうに話してくるんですよ。
 曲や演奏を知り尽くした上での、楽しみながら遊びながらの演奏がとても魅力だと思います。


――なるほど。本番前は楽器も相当弾き込むのでしょうか。
 それは曲によるかもしれません。過去の演奏会でカーテンコール中に『今からこの曲をやるから』と、アンコール曲の伴奏譜を渡され、初見演奏をしたことがあります。僕自身も初見は利く方ですが、“せめて1回ぐらい練習させて”と内心は慌てました。でも、キュッヒルは焦っている僕の様子を見て緩急をつけたり、うまく合わせてくれて、演奏中に意外な発見があったりもしました。
 曲によっては、弾きこむと却って失敗したりするんです。
曲を知り尽くしているからこそ、やりすぎてマンネリが良くないこともあるのでしょうね。
 クラシック音楽の伝統=過去の演奏のトレースではなく、何回弾いている曲でも、その瞬間にその曲が生まれてきているかのように弾く、というのもキュッヒルの魅力だと思います。


――キュッヒル氏のお人柄や、演奏会でのエピソードを教えてください。
 十数年前、軽井沢での公演でモーツァルトのソナタの演奏中に、ヴァイオリンのカデンツァ(独奏部分)が、突然ハッピーバースデーのメロディーに変化しました。実はその日は僕の誕生日だったのですが、ずっと尊敬し憧れてきた雲の上の人が、聴衆の前で自分のためにハッピーバースデーを弾いてくれている!…演奏中の緊張感に感慨と気恥ずかしさが入り混じった、言葉で言い表せないような瞬間でした。
 ちょっといたずら小僧気質なところもあって、N響のゲストコンサートマスター時代には、隣の奏者にだけわかるようにわざと独特な指のポジションで弾いたり、毎回弾き方を変えたり、そういう遊びをするそうです。彼から『キュッヒルさんがコンマスの時に隣に座ると笑いをこらえるのが大変』とメールをもらったことがあるほどです。常に面白いことを考えて、リハーサル通りではなく本番で遊ぶ人です。だから、共演のときはドキドキハラハラと楽しいが同居しています。キュッヒルは、いつも僕の『楽しい』を引っ張り出してくれます。


ヴァイオリンとピアノではなく 二人でオーケストラを作り上げていく

――岩国公演で取り上げる曲目について、聴きどころ等を教えてください。
 まずメインとも言える『クロイツェル』。多くの人が“偉大な巨匠の神格化されたような作品”ととらえていますが、僕は、若いベートーヴェンゆえの常人離れした意思と、外へ向かう表現意欲の強さが相まって生まれたような異常なエネルギーが噴き出している“前衛的な作品”と感じていて、キュッヒルと合わせた時、彼も同じとらえ方、弾き方をしていました。この曲の初版本をキュッヒルの自宅で見せてもらったことがあります。ベートーヴェンによるオリジナルのタイトルは『デュオ・コンチェルタンテ(協奏的二重奏曲)ソナタ風』となっていて、やはりこれは特殊な作品だったのだと腑に落ちました。この曲に対峙する時、僕は古色蒼然と弾きたくない、といつも思っています。
 ブゾーニのソナタは30分以上ノンストップで演奏される、とにかく難しい曲。キュッヒルとソナタを弾くときは、二人で一つのスコアを見て、シンフォニー(交響曲)を作るような感覚で演奏していますが、ブゾーニの場合は、あまりに壮大で、ワーグナーのオペラ(楽劇)をやっている感覚です。曲の半ばで、美しく感動的なバッハのコラール(讃美歌)が現れるので、お客様にはそこを楽しみにお待ちいただきたいですね。
 チャイコフスキーの『ワルツ・スケルツォ』は、キュッヒルと初共演の演奏会でも取り上げた、思い入れの深い曲です。コンクールの課題曲として扱われることも多い技巧的な曲ですが、キュッヒルは超絶技巧を見せることだけを目指しておらず、色々なキャラクターを表現して、まるでオペラやバレエの一場面を想起させるかのように弾きます。技術は表現するための一手段に過ぎず(もちろん確固たる技術は持っていますが)、何かの世界を提示しようとして、いつもそのために色々なことを試しています。
 『我が母の教え給いし歌』は、ドヴォルザークの『ジプシーの歌』という歌曲集の中の一曲です。いただいた楽譜が一般的なクライスラーの編曲とは異なる版だったのですが、いざ演奏してみるとタイトルにも合っていて、すごくしっくりきました。
 これはキュッヒルの魅力にも繋がると思いますが、知っている曲でも、こんないい曲だったのか、と必ず思わせてくれるんです。


生粋の音楽家でヴァイオリニスト ライナー・キュッヒルのこれから

――聴きどころが盛り沢山なプログラムで楽しみです。最後に、今後キュッヒル氏との共演でやってみたいことや、岩国公演への意気込みを聞かせてください。
やってみたいこととはちょっと違うかもしれませんが、コンマスとしてのポストでずっとあり続けたが、それがなくなったこれから、キュッヒルがどうなっていくのか楽しみです。彼自身はとにかくオペラが好きで、オペラのコンマスをやりたい、とずっと言っています。
 キュッヒルはオペラのスコアだけでなく、テキスト(歌詞)も全て頭の中に入っているので、指揮者が振り間違えてぐちゃぐちゃになっても、次の1小節で全て立て直す。キュッヒル一人でオペラをコントロール出来るほどで、ウィーンのスター歌手たちだけでなく、その背後の合唱団の一人ひとりからの信頼も厚い。キュッヒルのオペラハウスでのコンマスとしての力量は、日本ではあまり知られていませんが、もっと評価されるべきだと思います。
 またキュッヒルは、“どこのステージで弾くのか”、“どのステイタスなのか”は全く気にしない。例えそれが急病で出られなくなったお弟子さんであっても、都合がつけば自ら代わりを務めます。すごくシンプルに、常に音楽をやりたいと思っている。
 25年共演を重ねても、初めて弾く曲のように新しい発見、美しい音の響きが出てきて、僕の音楽はキュッヒルとの共演の中で出来ていると思っています。そこでしか成り立たないことを毎回やる人、だからこそ、毎回フレッシュでいられる。今回の公演も、どんな発見があるか、どんな表現が出来るか、僕自身とても楽しみにしています!

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